1992-12-01 第125回国会 衆議院 予算委員会 第7号
これは八七年に当時の竹下幹事長に対して日本自民党が行った攻撃と全く同じ手口であり、八二年五月の森政調会長への攻撃に日本自民党が関与をしておらなかったのかどうか、これが一点です。 もう一点は、この街宣、森政調会長への街宣が終了した経緯について掌握をされておられますか。
これは八七年に当時の竹下幹事長に対して日本自民党が行った攻撃と全く同じ手口であり、八二年五月の森政調会長への攻撃に日本自民党が関与をしておらなかったのかどうか、これが一点です。 もう一点は、この街宣、森政調会長への街宣が終了した経緯について掌握をされておられますか。
○高沢委員 この年の十月の三日の読売新聞、これが読売新聞のスクープ、こう言われるわけですが、きょう、三日の日、竹下当時幹事長、竹下幹事長は目白へ行くということを読売新聞が記事に書いた。書いたからまた多くのマスコミが駆けつけたということになるわけですが、この読売新聞の書き方は、全く根拠のないことを書いたのか。
○坂上委員 そういたしますと、二千株は青木さん、一万株は当時幹事長でしたかな、竹下幹事長へ一万株どうぞという話が青木さんに来たのだけれども、これは竹下幹事長に取り次ぐべきものでないから、こういうような意味で、一応株を持ってきた側の意思というのは竹下幹事長へどうぞ、こういうことだったのでございますか。どうです。
ところが同じ株が、全くこの中身としては同じわいろ性を持った株が、当時の政府関係では中曽根首相以下四人の閣僚や官房副長官に六万一千株、それから党関係では竹下幹事長以下五人の党関係の役員に五万一千株、落ちがあるといけませんが、私の計算では合計十一万二千株が、同じ時期に同じ性格を持った株が自民党及び政府に渡されている。
あのとき、お二人は竹下幹事長あてに一万株、青木氏に二千株の譲渡話が持ち込まれて、竹下幹事長に予定された分を福田氏に回したと述べました。大体適当な方はいないかって、リクルートはそんなことはしてないですよ。江副証言で、譲渡先リストを作成して私が選定して中心になってやったと言っているんですからね。今まで明らかになった例で、どなたか適当な方になんて持ってきた例はないんだから。 小沢さん、どうですか。
竹下幹事長あてに持ち込まれたものを、これじゃまずいと思って福田さんにというふうに言ったのか、それともどちらかだれか適当な方にと言ったから福田さんをと言ったのか、どうですか。
二千株は青木秘書あてと、一万株は竹下幹事長あてということを青木さんは述べました。東京新聞もはっきり、その他もはっきりそう書いてある。 それで、ここにも一つ大きな疑惑がありますが、じゃその次の問題。それで、竹下幹事長は取るわけにいかないと思って、小沢さんの縁戚で竹下幹事長の縁戚でもある福田正氏に取り次いだと言うんですね。
これは恐らく当時の竹下幹事長に対して一万株を譲渡したいという話ではなかったかと思うのですが、当時、今申しましたように首相は幹事長でありましたので、幹事長に取り次ぐ話ではない、こう青木さん自身が判断をされて、首相の弟の義父であられる、首相とも親しい建設会社福田組の社長をされております福田正さんにお話をして引き受けていただいた、こういう経過になっておるわけですね。
ですから、この問題の一万株も、竹下さんのところへ持っていった趣旨で持っていったんだが、竹下さんの名前でなかった、青木さんの名前であったって構いません、リクルートとしては不都合ありません、竹下幹事長の御親戚であるならば、それはリクルート側としても結構、構いません、こういうような趣旨で、リクルートの贈る側から見ればそういう性質を持っているということを解明しなきゃいかぬです。
青木氏が、竹下幹事長に来た株なんだが、幹事長に取り次ぐ話じゃないというので親しい福田社長に取り次いだ、こう言うんですけれども、なぜ息子さんの名義にしなきゃならないのか、本人の名義で譲り受けたらいいじゃないですか、株の取引や売買するのに、住所が新潟であれ東京であれ関係ありませんからぬ。なぜ福田正氏の名前にしなかったのか、お聞きになっていますか。
そうなってくると、中曽根前首相の筑比地秘書官、上和田秘書官、太田秘書に対する二万九千株も、竹下首相の青木秘書への二千株、それから、当初リクルートは竹下幹事長あてで一万株持ってきて、青木秘書が、幹事長だからというので避けて首相の御親戚の福田組の福田正社長に取り次いだ一万株、合わせて一万二千株も、リクルートにとっては、中曽根周辺への二万九千株、竹下周辺、主な対象はあなたです、一万二千株だということになると
それとも竹下幹事長にということでその秘書さんに渡したのか。この点も大事なところですが、明確にしていただきたい。
当時の竹下幹事長あての一万株譲渡の申し込みを青木秘書があなたの親戚の福田組社長に取り次いだという事実が明らかになりました。あなたの周辺で合わせて一万二千株、二千六百万円余のわいろ性の濃い事実上の現金贈与があったというこの重大な問題について、首相としてどのような責任をおとりになるつもりか。 今回のリクルート疑惑は、当時の中曽根政権の中枢にかかわる巨大な疑獄事件の様相を色濃くしてきました。
昭和六十一年十二月二十九日の段階で、今斎藤参考人からもございました、私も細かい点を報告させていただきましたが、その六十一年十二月二十九日の段階で、今回提出法案の合意事項が当時の竹下幹事長のもとで行われていた、こういうことになりますが、これは事実でございましょうか。
○小渕国務大臣 六十一年十二月二十九日における戦後処理問題に関する政府・党合意は、御指摘のように党の責任者として竹下幹事長が筆頭に入っておることは事実でございます。
この合意文書には、自民党側からは現在総理大臣である当時の竹下幹事長を初め八人の党役員の署名、また政府側からは当時の後藤田官房長官、宮澤大蔵大臣など三名が署名されております。 この合意の第一項では、「いわゆる戦後処理問題については、先の戦後処理問題懇談会報告の趣旨に沿って、特別基金を創設し、関係者の労苦を慰藉する等の事業を行うことで全て終結させるものとする。」としております。
どういうことかといいますると、 週刊誌などに、平和相銀が株を買い戻す手段として購入した時代絵巻をめぐって、竹下幹事長(当時)の名前が出るようになると、最高検首脳から「これ以上のことはやめろ」と特捜部に圧力がかかるようになった。大蔵省と検察庁の間には、「住友銀行と平和相銀が合併する六十一年十月一日までに捜査を終了する」という秘かな合意があったとも伝えられている。 こう言っておるわけであります。
当時の竹下幹事長、宮澤蔵相を初め、自民党の幹部の方々は岩手においでになり、売上税について宣伝、説得され、また、圧力もかけられたと聞いております。しかし、いかにせん、売上税は天下の悪税であったため県民に受け入れられませんでした。 竹下総理、ちょうど一年前のことであり、よもやお忘れになってはいないと思います。
竹下幹事長もそのベストを支える、宮澤大蔵大臣もそのとおり、そして当時の安倍総務会長もそのとおり、そういうことで突っ走ってきたわけですね。ベスト、つまり一昨年の政府税調の抜本改正ですよ。去年の十月にもまた抜本改革ですよ。毎年、抜本改革抜本改革という答申が出てきて、そしてそれでベストだという案を出してこられた。それがなぜ支持されなかったか。
したがいまして、野党といたしましては、少なくとも一兆五、六千億円の減税の上積みが必要であるということをそれぞれ主張いたしているわけでございますが、昨年も書記長・幹事長会談でそのような話がありましたときに、これは来年検討する課題だなあということを当時竹下幹事長はおっしゃいました。ところが、あけてみると、この一兆五千四百億円の上、住民税減税の六千億という去年決まっておったものしか減税には出てこない。
今度は竹下幹事長のパーティーが八七年五月、これは竹下登氏を励ます会ということで行われて二十億。八七年の七月に二階堂パーティー、これがまた行われまして、十億円とこう言われている。 言ってみれば、一夜にして十億、十二億、二十億という金が政治資金としてそのパーティーで動くということは、まことにこれは大変なことではないか。
まず、会期延長の件についてでありますが、昨七日、自由民主党の竹下幹事長から、会期を九月九日より九月十九日まで十一日間延長せられるよう議長においてお取り計らい願いたい旨の申し入れがありました。 本件につきましては、昨日来の理事会において種々御協議を願ったのでありますが、各党の御意見が一致するに至っておりません。
ちなみに申し上げておきますが、そういう方々が自民党の幹事長室で、これはなるかどうか知りませんが、新聞のうわさによると、次の総理・総裁が想定されておる竹下幹事長にもお会いしておるわけです。その幹事長がこう言っております。「幹事長の地元の国立病院の診療圏は約十万人であるが、国立中津病院は四十万人あり、影響が大きいので慎重に対処したい」、これが私はやはり常識だと思うのです。